作品の公募に応募して入選し、今まで「生きるヒント」と「心に残るとっておきの話」の2冊が刊行されました。

 

●「生きるヒント」
平成4年12月5日発行
編者:(財)住友生命健康財団 発行所:「大和書房」
平成4年(1992年)、住友生命健康財団が募集した手記 「私の生きる」に応募。
321通の応募作の中から21通が選ばれ、「生きるヒント」として刊行される。
第5章に私の「継続は力なり」が掲載されている。

●「心に残るとっておきの話」 第八集
平成12年11月10日発行
編者・発行所 :「潮文社 」
50編の作品の中に、「小さな命」という題の私の話が掲載されている。

「小さな命」
「もしもし、こちら○○病院ですが、ネコ、ダメでした」
朝早くかかってきた突然の電話。私には、一体何のことか、さっぱりわからなかった。
「とにかく、ダメだったと伝えてください。」
そう言って電話は切れた。
しばらくして起きてきた大学生の息子に尋ねると、前日の夜十一時半頃、車で突然飛び出してきたネコをはねてしまい、病院を探して、ケガをしたネコの手当を頼んで帰宅したのだという。
「やるだけのことをしたのだから、ネコも成仏するでしょう。でも、治療費大変でしょう。」
と、言うと
「オレのしたことだから、おれがちゃんとするよ」と一言。それ以上、多くを語ろうとしなかった。
これでネコのことは終わったと思っていたが、数日後、「ネコのことで・・・・・」と、また電話がかかってきて、すぐに切れてしまった。
何かイヤな胸騒ぎがした。
夕方、帰宅した息子に話すと、ネコをはねた現場近くにネコをはねて死なせてしまったことと、そのネコに心当たりの人は連絡してほしい旨の貼り紙をしてきたのだと言う。
それを聞いて、私は、あらためて息子の優しさを感じたが、
「夜中にネコが急に飛び出してきたのでしょう。なにもそこまでしなくても」
と、言ってしまったのだった。

息子は、私の言葉に、涙を浮かべ、
「飼い主を探すのは当然だろう。お母さんだって、チロ(わが家の飼い犬)がいなくなったら、心配して探すだろう。」
と言った。
しばらくして、再び電話がかかってきた。ネコの飼い主の小学生からだった。
息子は、そこのお宅へ行き、事情を説明し、お詫びしたようだった。
その後、彼は何も言わなかったが、死んだネコは動物専用のお寺のお墓に埋葬していた。
いつまでも子供だと思っていたが、いつのまにか成長していたのだと、息子の意外な一面を発見したような気がした。
ところが、ネコのことはもうすっかり忘れていた数ヶ月後のこと。見知らぬ男の人から電話がかかってきた。
電話の主は、息子の貼り紙を見た、ある会社の広報担当の方で、
「貼り紙を見て感動し、社内報に掲載したので、それを送りたい。住所を教えてほしい」
と、いうことだった。

送られてきた社内報の記事には、『小さくても大切な命、路上で見つけた良心』という標題で書かれ、貼り紙と息子が供えた花束を写した写真まで添えられてあった。
記事には、『お金持ち日本になり、心を失いつつある日本人の心を嘆く声も聞かれる今日、まだこんな優しい心を持ち、そのまま行き過ぎても追求されることもなかったかも知れない事故に、最善の誠意を尽くし、自分の非を認めて、病院に運んで手当を受けさせ、死んだペットの持ち主を探して、お詫びするために、電話番号とフルネームを署名する勇気と優しさに感動せざるを得ませんでした。』と書かれてあった。
私は、この記事を読んで、心から感謝する一方、内心じくじたる思いだった。
親である私は、息子に、「何も貼り紙までしなくても」と言って泣かせた。
それなのに、その貼り紙を見て、息子の行動に感動し、社内報で取り上げてくださる方がいたとは。
年と共に、純粋さを失い、事なかれ主義になっていく自分を反省させられたできごとであった。

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